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>2009/11/22
>「毛唐かぶれし切らない」 幻論
宣長
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もろこしぶみをもよむべき事
から國の書をも、いとまのひまには、ずゐぶんに見るぞよき、漢籍も見ざれば、其外(ツ)國のふりのあしき事もしられず、又古書はみな漢文もて書たれば、かの國ぶりの文もしらでは、學問もことゆきがたければ也、かの國ぶりの、よろづにあしきことをよくさとりて、皇國《ミクニ》だましひだにつよくして、うごかざれば、よるひるからぶみを見ても、心はまよふことなし、然れども、かの國ぶりとして、人の心さかしく、何事をも理をつくしたるやうに、こまかに論ひ、よさまに説《トキ》なせる故に、それを見れば、かしこき人も、おのづから心うつりやすく、まどひやすきならひなれば、から書見むには、つねに此ことをわするまじきなり
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からごゝろ
漢意《カラゴヽロ》とは、漢國のふりを好み、かの國をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、萬の事の善惡是非《ヨサアシサ》を論ひ、物の理(リ)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍《カラブミ》の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず、書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也、そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢國をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意《コヽロ》世(ノ)中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごゝろもたらずと思ひ、これはから意にあらず、當然理《シカアルベキコトワリ》也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし、そも/\人の心は、皇國も外つ國も、ことなることなく、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなければ、別《コト》に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごゝろなれば、とにかくに此意は、のぞこりがたき物になむ有ける、人の心の、いづれの國もことなることなきは、本のまごゝろこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの國人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、眞《マ》心にあらず、かれが是《ヨシ》とする事、實の是《ヨキ》にはあらず、非《アシ》とすること、まことの非《アシキ》にあらざるたぐひもおほかれば、善惡是非《ヨサアシサ》に二つなしともいふべからず、又|當然之理《シカアルベキコトワリ》とおもひとりたるすぢも、漢意の當然之理にこそあれ、實の當然之理にはあらざること多し、大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るゝを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし
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黙読千回音読百回
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我はからごゝろもたらずと思ひ、これはから意にあらず、當然理《シカアルベキコトワリ》也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし
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さて、
欧州社民主義の猿真似でいこう!
で、何が悪い?
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