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戦争と平和

 投稿者:丁稚  投稿日:2009年 9月25日(金)09時57分47秒
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  長過ぎて何を言ってるのかわからないと思うので、解説(笑)。

以前、ボクは皮肉な口調で次のように書いたことがある。

「今、「愛と平和」に何の疑いも持たない人は、現代の世間だ。彼らは、明治や昭和の時代に「忠と孝」の大義を絶対視していた世間の、時間を越えた反照だ。」

ボクが愛と平和の合唱に素直に加われないのは、平和は「いざとなったら戦う」という気持ちがないと維持できないように思えるからだ。

しかし、「戦う気概を持ちつつ、ぎりぎりまで平和を求めよう」ということで解決するほど、問題は単純ではないようだ。

先ず、平和が維持されているのは軍備があるから、という現実がある。

ところが「平和のための軍備」は、核兵器が象徴しているように、紛争の道具をはるかに越えて、人類を何十回も滅ぼしてしまうのに十分なくらい発達してしまっている。

抑止力といった言い方、考え方が間違っているんじゃないかとボクは感じてしまう。

いっそ「戦争のための軍備」にしたほうが、漸進的な軍備縮小を行えるのでは?と思ったりする。

例えば、ミサイルを使う戦争より、兵士が「戦場の前線」で戦う戦争のほうがマシである。

戦争は「戦場」で勝敗が決り、もし敵の兵士達が「都市」に入って来るなら、その時はもう戦争は終わっていて、都市は占領されるだけだった。

もちろん、負けた側の都市が民間人もろとも滅ぼされることもあった。しかし、人類そのものが戦争で滅びるような戦争は、不可能だった。

ところが、科学技術のおかげで、「世界大戦」ができるようになった。飛行機が出来て、「戦場」以外の「都市」を攻撃できるようになってから、戦争は人類存亡にかかわるものとなった。

今は、ミサイル兵器の時代である。つまり、戦争は「都市攻撃」が主体となってしまっている。

たぶん、古代、弓という飛び道具が発明されて、戦争はずいぶんと「卑怯な戦い」になったはずだ。

離れた場所から自分だけは安全を保って相手を殺傷するという武器は、人間性を失わせるようだ。

ミサイル兵器は、卑劣の象徴ではないだろうか?

三島由紀夫が日本刀にこだわったのは、戦いにおいても人間であることを失わないことにこだわったからなのかもしれない。

・・・・・・やっぱり、長くなってしまいました(笑)。
 
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