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菅原洋一の『知りたくないの』の原曲を調べようとおもってネットで検索した。原曲は『I really don’t want to know』という、どこかテネシーワルツに似たカントリーぽい曲だった。
検索にひっかかった『I really don’t want to know』をアン・マレーの歌声で聞くことができた。アン・マレーを聞くのはウン十年ぶりのような気がする。なつかしい。アン・マレーのデビュー曲であり大ヒット曲でもある『スノーバード』を毎日のように聞いていたのを思い出した。
当時は、ヘレン・レディーの『デルタドーン(デルタの夜明け)』やキャプテン&テニールの『愛あるかぎり』、リンジー・ディポールの『モンマルトル』など洋楽ばかりを聴いていた。『知りたくないの』を調べるつもりだったのに、なつかしい気分にひたる結果となってしまった。
『知りたくないの』がヒットしたころは、外国の曲を翻訳して、日本語でカバーするというのがはやっていたらしい。まだ駆け出しの作詞家だったなかにし礼が、『I really don’t want to know』を日本語の歌詞に訳すという大役をまかされた。そんな話をちょっと前にテレビでやっていた。
原曲の出だしは「How many arms have held you」。「何本の腕が君を抱いたのか」。このまま訳したのでは曲にならない。番組のなかで、なかにし礼は日本語の歌詞になおすときの決まり事について、つぎのように語っていた。
原曲の雰囲気をそこなわないこと。メロディーを変えないこと。歌いやすいこと。この三つをあげていた。そこでひらめいたのが「あなたの過去など知りたくないの」のおなじみのフレーズ。
なかにし礼は「過去など」の部分が作詞のポイントだったという。「過去など」がひらめいたことによってヒット曲が生まれたのだと、なかにし礼は自信をもって言い切った。
「過去など」の「など」のところで原曲は音階がさがっている。なかにし礼は、この部分はさがる必要はないという。仮に音程があがっていても曲になるという。それがなぜかさがっていた。
音階がさがっていたのが、なかにし礼にとっての最大の幸運だった。さがっていたことで「など」が入った。さがっていなければ入れることはできなかったのだ。「など」を入れることができた幸運が、『知りたくないの』の大ヒットにつながったのだと、なかにし礼はくり返し強調していた。
しかし問題はおきた。その当時、鳴かず飛ばずであった菅原洋一は、この曲に歌手生命をかけていた。これがダメなら歌手をやめなくならないとまで思いつめていた。そして「過去など」に難色を示した。
カ行の音がふたつ並ぶのは歌いにくい。ほかの歌詞に代えてくれるようにと菅原洋一は要求した。もちろん、ここがポイントであることを知るなかにし礼は、その申し出を拒否した。
「あんたプロの作詞家なんだから、なんとかできるだろう」という菅原洋一にたいして、「あんたもプロの歌手なんだから歌え」となかにし礼は応戦した。まわりにいたスタッフが「とにかく歌ってみよう」と割って入った。
歌ってみれば、誰が聞いても最高の出来だった。その場にいた誰もが絶賛した。「過去など」で行くことになった。菅原洋一が歌いはじめて2年後に大ヒットは生まれた。それは、なかにし礼が、作詞家としてはじめて経験した大ヒットの瞬間でもあった。
このときの思いを「あの感激はいちど味わうとわすれられない。デカルトもカントも味わったことのない感動だ」となかにし礼は述懐する。
「あなたの過去など知りたくないの」。どうですか、みなさん。おいらの過去なんて誰も知りたくはないですよね。
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