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そのときおいらは『女について』という文庫本を読んでいた。タイトルの文字を目ざとく見つけたヤツがいて、大声で「こいつ、『女について』という本を読みようるでー」といった。
その場にいた数十人がおいらに注目した。離れたところに立っていたおばさんまでが、ニヤニヤしながらこっちを見ている。
「何も知らぬヤツらめが」とおもったが、無視するわけにもいかず照れ笑いをつくってその場をしのいだ。
『女について』は、何をかくそう、デカンショ節で知られるデカルト、カント、ショーペンハウエルの、あの大哲学者のショーペンハウエルの著作なのである。
厭世思想家で知られるショーペンハウエルは、大の女嫌いでもあった。『女について』で、ショーペンハウエルは女子を徹底的にこきおろした。この本には、女子にたいする毒念がうずまいている。
そんな毒々しいまでの悪念がつまった本を、何でおいらが読んでいたのか。それは、女子にたいする腹いせだった。女子にぜんぜんモテないことに嫌気がさしたおいらは、その腹いせにショーペンハウエルを読んで、日ごろのウサをはらそうと目論んでいたのである。
その目論見はある程度は成功したにしても、それによって事態が好転するわけではなかった。その後も女子とは縁のない人生がつづくことになるのであるが、それはそれで悩みがなくてよい時代でもあったと、今となってはおもえるのである。
そのショーペンハウエルが「やまあらしジレンマ」ということをいっている。ある冬の寒い日、二匹のやまあらしが寒さに身を寄せ合った。二匹は近づきすぎて、それぞれのトゲで相手をキズつけた。二匹は離れた。離れすぎて寒さにたえきれなくなった。それでまた近づいて互いにキズつけあった。
やまあらしはジレンマにおちいった。試行錯誤のすえに適当な距離をとることをおぼえた。寒さをそこそこしのげて、しかもおたがいをキズつけあわずにすむ距離があることを知った。
二人の人間が近づけば、そこに関係性が生じる。その関係性によって、二人は互いをキズつけあうことがある。しかしそれは、「キズつけあう」というよりも「キズつきあう」といった方がよいのではないかとおいらはおもう。多くの場合、人は、自分で自分を勝手にキズつけているようにおもわれてならないからである。
実際ほとんどの人は、誰かをキズつけようなどとは、これっぽっちもおもっていないはずだ。むしろキズつけまいとして、トゲをかくす。トゲがないふりをして相手に近づこうとする。
そうしたからといってトゲが消えるわけではない。かくしたトゲは自分にささる。自分のトゲで自分をキズつける。
かくしたトゲは内向する。攻撃性をかくせば、自分で自分を攻撃するようになる。傲慢をかくせば、自分を卑下して卑屈になる。どうやらおいらは、人に近づく前から自分で自分をキズつけているようだ。
いっそのこと、自分のトゲで人をキズつけるようにした方が楽でいいのではないだろうか。でも、そんなことをしたら、次はきっとおいらの番だ。今度はおいらが、誰かのトゲでキズつけられることになる。やっぱりそれはいやだな。自分で自分をキズつけている方が、まだマシってもんだ。
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